デリヘル業者は店名を名乗らないブログ:170516
今、我が家では小麦粉が余っています。
母親は使い道に困っており
「お好み焼きでも作ろうか?」と言っていますが、
そのままひと月以上経ってしまいました。
昔、我が家では
「お好み焼き」はパパの仕事でした。
自営業で忙しく、自宅で寝る事も少なかったパパとは
残念ながら家族団らんの思い出があまりありません。
小さかった子供の頃は違うでしょうが、
あたしが小学校低学年の頃に賃貸から分譲のマンションに移ってからは、
パパが家の中にいた時間は、本当に少なかったように思います。
それでもひと月に何度か夕食を一緒に食べる機会があり、
そうした時にパパが率先して家族に振舞ったのが
「お好み焼き」でした。
大阪生まれの大阪育ちなのに、
パパのこだわりは広島焼きで、
いろいろウンチクを並べたりしていました。
ヘラで重なりあったお好み焼きを
上手にひっくり返すパパの姿に子供のあたしは大興奮で、
「自分もやりたい!」とヘラを奪い取ってチャレンジしても
ことごとく失敗していました。
その失敗をパパがまた綺麗に直してくれて…
それがまた尊敬だったりもしました。
パパは「うまいか?」と言いながら
次々焼いていきます。
そしていつも自分が食べるのは最後になってからでした。
今思うと、そこにも愛情がありますね。
そんなパパが亡くなってもう十年。
お好み焼きを自宅で作る機会はもうほとんどありません。
昔は買足しても足りなかった小麦粉が余っている様子を見て、
パパが居ないことを改めて実感すると同時に、
笑顔でお好み焼きをクチいっぱいに頬張っていた
自分の姿を思い出しました。
平凡だけれども
あたしにとっては、優しかったパパとの思い出です。